開出今物語  著者はしがき

発刊にあたってのはしがき

 「忘却とは忘れ去る事なり」とは劇作家・菊田一夫の名言である。だが「事実」は、それを消し去ることの出来ないものである。

梅花に映える鎮守の社を柱とした我が開出今の里、ここにも長い歳月にわたる生業の足跡が現実にあった。その事実を消し去ることは、我々がその住人あるが故に到底出来ない事である。

 しかし多様化した忙しい生活に日々追われて、過ぎ去った足あとを辿る余裕を殆んど持てないのが現実である。

平和で豊かな毎日を享受して、これが当然な姿だとの、空気に似た存在を過信しての繰り返しの日々である。親なくして子供が生まれてはこないと同様に、身辺の些細な事象にも先人苦労の匂

いを否定することは出来ない。その匂いが過ぎ越し方の風俗・人情を我々に物語っており、さらには未来への夢と誇を育ててくれる温床になっているのではないだろうか。

いつ頃どんな風にしてこの開出今の集落が出来たのだろうか。その頃の人達の日常生活はどのようなものであったろうか。そしてその進展の過程には如何なる辛苦が存在し、それをどうして乗り切って行ったのかなど、無限に広がって来るのである。

 折にふれてこんな感慨に耽る時があった。それなら自ら探究して見ようかとも考えたが忙しい頃はとても省みる余裕をもつ時

間がなかった。しかし第一線から退いて静かな生活に入ると漸く心が動くようになった。

 私自身、移民の子として生をカナダに受け、長じて後も永らくカナダで生活を送って来た、言うなれば身をもって移民を体験したものとして、その移民史を書き綴り、後世にその実態を伝えたい念願からこれを取り上げたのである。

 梅の花は菅原神社の祭神菅原道真公ゆかりの花であり、楓はカナダのシンボルである。また「楓」は「開出」にも通ずるし、どちらも開出今にとって尊い存在を感じ、二部に分けて収録した思

いをそのまま、副題「梅の花と楓」としたものである。

 もともと浅学非才の文才もない私の所産なので、充分な満足を得る内容の披露は求められないと自身で自覚している。将来さらに完全で正確な郷土史の生まれて来ることを期待しながら、つたないこの一書を一般江湖に一読を請うものである。